Heilsam ist nur...
ものすごく久しぶりの更新です。
半年前の記事にも書いているけれど、当初は年間研修の様子を事細かに
このブログに記録しようと思っていました。
けれども、アートセラピストとしてのフルタイム労働は思った以上に大変で
特に夏に上司たちが代わる代わる休暇をとり
彼女たちの代理もしなければならなかったときは、本当に忙しく
毎日、夕方家に帰ってきたあとはソファーの上でぼーっとして、
何もする気が起きない…という状態でした。
わたしのいた絵画療法チームは主に内科の患者さんを対象にしていて
内科の患者さんたちは大抵1週間くらいで退院していきます。
沢山の患者さんたちがやって来ては去って行くので
一人一人の患者さんとちゃんと向き合えているのか、
本来はとても繊細な仕事であるアートセラピーが流れ作業になっていないか
と、常に自分に問わなければいけない日々でした。
そんな中、資格認定試験として報告書、プレゼンテーションで紹介する治療経過を一つ選ばなくてはなりませんでした。
学生時代に実習をしたときは、たっぷりした時間の中で
限られた数の患者さん一人ひとりと丁寧に向き合い
その日に起こったことを全てメモに残していました。
けれども、年間研修の間はそんな時間はなく、
試験のために選んだ治療経過も、治療途中のもので
(患者さんが退院するまえに、私が日本に一時帰国してしまったので)
こんな状態で、いい報告書、プレゼンテーションが出来るのであろうか、と不安でした。
治療途中の患者さんを置いて、日本に帰ってしまった罪の意識のせいか
どうしたらこの治療経過を丸く収めることが出来たのであろう、という想いがあり、
報告書の中で沢山の文献を引用して、考察しなければなりませんでした。
けれども、わたしの引用した文献は深層心理学に基づくアートセラピーについてで、
シュタイナー系アートセラピーとは性質が異なるものだ、上司に批判されてしまいました。
とてもショックで、今度はシュタイナー系アートセラピーの文献を読み漁り
わたしの治療経過に当てはまる文章はないか、と探していたのですが
どこにも見当たらず、途方にくれていました。
そしてプレゼンテーションの数日前に、
ふと思い立って、わたしの患者さんが私が日本に帰ったあとにどんな絵を描いていたのか見てみました。
上司は、患者さんがその後、数回絵画療法に来て退院していった、としか言っていなかったので
わたしは彼がどんな絵を描いていたのか、その時までろくに見てみようとしませんでした。
しかし、彼が残していった数枚の絵を見た時に、すべてが結びつき
灯台下暗し、答えはこんなに近くにあったのか、と気づきました。
わたしがいなくなったあと、患者さんはちゃんと自分で、治療経過を収めるための道を見つけていたのです。
不完全だったと思っていた治療経過は、その瞬間にわたしの中で不思議なくらいに完全な物になりました。
プレゼンテーションの後、沢山の人から「素晴らしい治療経過だね」と嬉しい反響をもらいましたが
準備をしている最中はそんなことを言ってもらえるなんて、夢にも思っていませんでした。
そして結局は、わたしが沢山の本を読んでも知りえなかったことを、患者さんが教えてくれたのです。
アートセラピストが出来ることは、本当に小さな支援で
クライアントが進んでいく道を尊重して、支えていくのがわたしたちの仕事である。
そんな分かり切った事実であるはずのことを、改めて思い知らされました。
そしてそれでも、患者さんを救おうと、文献を読み漁っていたわたしの回り道も無駄にはならないのでしょう。
そういうわけで、無事にシュタイナー系アートセラピストとしての資格を習得しました!
まだ残り一か月病院で働き続けますが、 とりあえず一区切りです。
この一年間、素晴らしい上司たち、研修仲間、患者さんたちに出会えたことに本当に感謝しています。
わたしたちは一人ひとり違うし、誰も完璧ではない
それでも支えあって生きていける、と知ることが出来た貴重な一年でした。
最後にこの一年を象徴しているなあと思うシュタイナーの言葉を引用します。
私なりに意訳したので直訳とはちょっと違いますが。
Heilsam ist nur, wenn
Im Spiegel der Menschenseele
Sich bildet die ganze Gemeinschaft
und in der Gemeinschaft
Lebet der Einzelseele Kraft.
癒しが起こるのは
個々の魂に共同体が映し出され
そして、共同体の中で
個々の魂の力が生かされるときのみである。
半年前の記事にも書いているけれど、当初は年間研修の様子を事細かに
このブログに記録しようと思っていました。
けれども、アートセラピストとしてのフルタイム労働は思った以上に大変で
特に夏に上司たちが代わる代わる休暇をとり
彼女たちの代理もしなければならなかったときは、本当に忙しく
毎日、夕方家に帰ってきたあとはソファーの上でぼーっとして、
何もする気が起きない…という状態でした。
わたしのいた絵画療法チームは主に内科の患者さんを対象にしていて
内科の患者さんたちは大抵1週間くらいで退院していきます。
沢山の患者さんたちがやって来ては去って行くので
一人一人の患者さんとちゃんと向き合えているのか、
本来はとても繊細な仕事であるアートセラピーが流れ作業になっていないか
と、常に自分に問わなければいけない日々でした。
そんな中、資格認定試験として報告書、プレゼンテーションで紹介する治療経過を一つ選ばなくてはなりませんでした。
学生時代に実習をしたときは、たっぷりした時間の中で
限られた数の患者さん一人ひとりと丁寧に向き合い
その日に起こったことを全てメモに残していました。
けれども、年間研修の間はそんな時間はなく、
試験のために選んだ治療経過も、治療途中のもので
(患者さんが退院するまえに、私が日本に一時帰国してしまったので)
こんな状態で、いい報告書、プレゼンテーションが出来るのであろうか、と不安でした。
治療途中の患者さんを置いて、日本に帰ってしまった罪の意識のせいか
どうしたらこの治療経過を丸く収めることが出来たのであろう、という想いがあり、
報告書の中で沢山の文献を引用して、考察しなければなりませんでした。
けれども、わたしの引用した文献は深層心理学に基づくアートセラピーについてで、
シュタイナー系アートセラピーとは性質が異なるものだ、上司に批判されてしまいました。
とてもショックで、今度はシュタイナー系アートセラピーの文献を読み漁り
わたしの治療経過に当てはまる文章はないか、と探していたのですが
どこにも見当たらず、途方にくれていました。
そしてプレゼンテーションの数日前に、
ふと思い立って、わたしの患者さんが私が日本に帰ったあとにどんな絵を描いていたのか見てみました。
上司は、患者さんがその後、数回絵画療法に来て退院していった、としか言っていなかったので
わたしは彼がどんな絵を描いていたのか、その時までろくに見てみようとしませんでした。
しかし、彼が残していった数枚の絵を見た時に、すべてが結びつき
灯台下暗し、答えはこんなに近くにあったのか、と気づきました。
わたしがいなくなったあと、患者さんはちゃんと自分で、治療経過を収めるための道を見つけていたのです。
不完全だったと思っていた治療経過は、その瞬間にわたしの中で不思議なくらいに完全な物になりました。
プレゼンテーションの後、沢山の人から「素晴らしい治療経過だね」と嬉しい反響をもらいましたが
準備をしている最中はそんなことを言ってもらえるなんて、夢にも思っていませんでした。
そして結局は、わたしが沢山の本を読んでも知りえなかったことを、患者さんが教えてくれたのです。
アートセラピストが出来ることは、本当に小さな支援で
クライアントが進んでいく道を尊重して、支えていくのがわたしたちの仕事である。
そんな分かり切った事実であるはずのことを、改めて思い知らされました。
そしてそれでも、患者さんを救おうと、文献を読み漁っていたわたしの回り道も無駄にはならないのでしょう。
そういうわけで、無事にシュタイナー系アートセラピストとしての資格を習得しました!
まだ残り一か月病院で働き続けますが、 とりあえず一区切りです。
この一年間、素晴らしい上司たち、研修仲間、患者さんたちに出会えたことに本当に感謝しています。
わたしたちは一人ひとり違うし、誰も完璧ではない
それでも支えあって生きていける、と知ることが出来た貴重な一年でした。
最後にこの一年を象徴しているなあと思うシュタイナーの言葉を引用します。
私なりに意訳したので直訳とはちょっと違いますが。
Heilsam ist nur, wenn
Im Spiegel der Menschenseele
Sich bildet die ganze Gemeinschaft
und in der Gemeinschaft
Lebet der Einzelseele Kraft.
癒しが起こるのは
個々の魂に共同体が映し出され
そして、共同体の中で
個々の魂の力が生かされるときのみである。
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