目撃者であること
とある患者さんが、週末に自分で作った絵本を個人セラピーに持ってきて見せてくれました。
彼女はもう半年近く入院していて、思春期のころから摂食障害を患っているので
今回の入院以前に、もうすでに何度も入院した経験がありました。
私が彼女と初めて出会ったころ、彼女は白黒の絵ばかり描いていました。
しかし、母親への怒りを作品のテーマにしたことをきっかけに、
彼女の絵はどんどんと色にあふれていきました。
怒りの赤、許しの黄色、そして希望の緑。
そんな彼女が見せてくれた絵本には
物語風に、自分がどうして心の壁を作ってしまったのか
どうして自分は、たくさんの人がドアをたたいてくれるのに、そのドアを開けようとしなかったのか、という経緯が描かれていました。
自分は人から愛されるほど特別な存在ではないと思っていたこと。
自分が特別な存在であるために「救いようのない事例」でありたかったこと。
けれど、「救いようのない事例」であり続ければ、自分の本当にほしいものは手に入らないこと。
彼女の正直な思いと、心の壁を少しづつでも崩していこう、という覚悟が様々な色で表現されていました。
彼女の体重は未だに標準体重には程遠いし、絵を描くときは椅子に浅く座ることしかできません。
それでもその絵本を見たときに、彼女は今回の病院滞在で多くのものを学んだのだな、と感じました。
そして彼女のプロセスの証人の一人になれたことを光栄に思いました。
アートセラピストという職業はわたしにとって
それぞれの患者さんが自分の人生を創っていくのを見守る目撃者でいることなのだな、と思います。
そんなに多くの手助けなんてできません。
だけど、ひとりぼっちの旅よりは、見守ってくれる人がいるほうが、厳しい旅であればあるほど救いになるのでしょう。
実習をしていたころ、上司が言っていました。
「君がそこにいるっていうことが、患者さんにとっては特別なことなんだよ」と。
彼女はもう半年近く入院していて、思春期のころから摂食障害を患っているので
今回の入院以前に、もうすでに何度も入院した経験がありました。
私が彼女と初めて出会ったころ、彼女は白黒の絵ばかり描いていました。
しかし、母親への怒りを作品のテーマにしたことをきっかけに、
彼女の絵はどんどんと色にあふれていきました。
怒りの赤、許しの黄色、そして希望の緑。
そんな彼女が見せてくれた絵本には
物語風に、自分がどうして心の壁を作ってしまったのか
どうして自分は、たくさんの人がドアをたたいてくれるのに、そのドアを開けようとしなかったのか、という経緯が描かれていました。
自分は人から愛されるほど特別な存在ではないと思っていたこと。
自分が特別な存在であるために「救いようのない事例」でありたかったこと。
けれど、「救いようのない事例」であり続ければ、自分の本当にほしいものは手に入らないこと。
彼女の正直な思いと、心の壁を少しづつでも崩していこう、という覚悟が様々な色で表現されていました。
彼女の体重は未だに標準体重には程遠いし、絵を描くときは椅子に浅く座ることしかできません。
それでもその絵本を見たときに、彼女は今回の病院滞在で多くのものを学んだのだな、と感じました。
そして彼女のプロセスの証人の一人になれたことを光栄に思いました。
アートセラピストという職業はわたしにとって
それぞれの患者さんが自分の人生を創っていくのを見守る目撃者でいることなのだな、と思います。
そんなに多くの手助けなんてできません。
だけど、ひとりぼっちの旅よりは、見守ってくれる人がいるほうが、厳しい旅であればあるほど救いになるのでしょう。
実習をしていたころ、上司が言っていました。
「君がそこにいるっていうことが、患者さんにとっては特別なことなんだよ」と。
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