患者さんのために描く(その後)
前回のブログの患者さんとのセラピーのプロセスを今日でひと段落させた。
彼は月曜日にホスピスへ移動することになる。
がん治療チームのミーティングで、彼の水への渇望と、彼自身の絵には砂漠が描かれていたことを語った翌日
彼が自ら、砂漠の絵に加筆したいと言い出したので
わたしは、本当に彼が自分でそう思ったのか疑わざるを得なかった。
もしかしたら、他のセラピストや医者の誰かが、彼の絵を指摘したのかもしれない、と思った。
彼の本当の願いは何なのか感じ取ろうとしながら、彼と向き合ってきたけれど
結局、彼は砂漠の絵にオアシスとラクダを描き足して
そして、今日はその絵を新しい大きな紙に描きなおして、さらなるモチーフも描き加えた。
今日中に大きな絵を終わらせる自信がない、と彼が言うので
最後の絵は、わたしも協力しながら描いて、言うなれば共同制作のような形になった。
「どうして、砂漠の絵を描きなおしたいと思ったんですか?」と尋ねると
「だって僕はいつも壁に貼られているその絵を見てたから
砂漠が広すぎて、がらんとしている気がしたから」という答え。
彼が本当に病室に貼られた自分の絵と、わたしの描いた水辺の絵を見ながら、
誰のためでもなく、自分のために砂漠の絵を変化させたいと願ったのなら
それはなんて勇気のある行為だったんだろうと思う。
本当のことはわからないままだけれど
出来上がった最後の砂漠の絵は、 物語性のある、生き生きとした絵になったので
全てがしっくりと、収まるべきところに収まった気がした。
いろんな患者さんがいるので、仕事をしながら、様々な感情が浮かんでくる。
結果的に自分自身と向き合うことになるので、落ち込むこともあるけれど
こういう、すべてがウソのように丸く収まったな、と思えるプロセスを経験すると、
これこそがわたしにとっては、天からの贈り物だなと思う。
彼は月曜日にホスピスへ移動することになる。
がん治療チームのミーティングで、彼の水への渇望と、彼自身の絵には砂漠が描かれていたことを語った翌日
彼が自ら、砂漠の絵に加筆したいと言い出したので
わたしは、本当に彼が自分でそう思ったのか疑わざるを得なかった。
もしかしたら、他のセラピストや医者の誰かが、彼の絵を指摘したのかもしれない、と思った。
彼の本当の願いは何なのか感じ取ろうとしながら、彼と向き合ってきたけれど
結局、彼は砂漠の絵にオアシスとラクダを描き足して
そして、今日はその絵を新しい大きな紙に描きなおして、さらなるモチーフも描き加えた。
今日中に大きな絵を終わらせる自信がない、と彼が言うので
最後の絵は、わたしも協力しながら描いて、言うなれば共同制作のような形になった。
「どうして、砂漠の絵を描きなおしたいと思ったんですか?」と尋ねると
「だって僕はいつも壁に貼られているその絵を見てたから
砂漠が広すぎて、がらんとしている気がしたから」という答え。
彼が本当に病室に貼られた自分の絵と、わたしの描いた水辺の絵を見ながら、
誰のためでもなく、自分のために砂漠の絵を変化させたいと願ったのなら
それはなんて勇気のある行為だったんだろうと思う。
本当のことはわからないままだけれど
出来上がった最後の砂漠の絵は、 物語性のある、生き生きとした絵になったので
全てがしっくりと、収まるべきところに収まった気がした。
いろんな患者さんがいるので、仕事をしながら、様々な感情が浮かんでくる。
結果的に自分自身と向き合うことになるので、落ち込むこともあるけれど
こういう、すべてがウソのように丸く収まったな、と思えるプロセスを経験すると、
これこそがわたしにとっては、天からの贈り物だなと思う。
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