他人を変えることは出来ない
他人を変えることは出来ない。
それは、アートセラピストとして働いていて
人が健康になる、いわば、変化するためのお手伝いをしている私にとっても同じことで、
他人を変えようとしても、ストレスにしかなりません。
わたしに出来るのはあくまでお手伝い。
そんな簡単なことは分かりきっているはずなのに、
患者さんと向き合っていく中で
自分が相手を変えることが出来ないことに
憤りを感じることがあります。
とくに重度の拒食症の患者さんたちが、病院を去ることを選択することで
病気と向き合うことを拒否する場面を目の当たりにすると
どうにもこうにも感情的になってしまいます。
もっと自分を、命を大事にするべきなのに、と
腹立たしく思うし、悲しくもなります。
わたしが去っていく彼らに出来ることは、せいぜい、
彼らがいつか病院の外の、仮初の自由に気付いて
自らの変化を本当に望むようになることを、願うこと。
そうして、その時期が出来れば手遅れでないこと、
彼らの回り道が、彼らの人生において
なんらかの形で意味があるプロセスであることを祈ること。
自分の不甲斐なさに対する怒りは、
自分が一人でも多くの、変化を望む患者さんのお手伝いをすることで乗り越えていくしかない。
それは、アートセラピストとして働いていて
人が健康になる、いわば、変化するためのお手伝いをしている私にとっても同じことで、
他人を変えようとしても、ストレスにしかなりません。
わたしに出来るのはあくまでお手伝い。
そんな簡単なことは分かりきっているはずなのに、
患者さんと向き合っていく中で
自分が相手を変えることが出来ないことに
憤りを感じることがあります。
とくに重度の拒食症の患者さんたちが、病院を去ることを選択することで
病気と向き合うことを拒否する場面を目の当たりにすると
どうにもこうにも感情的になってしまいます。
もっと自分を、命を大事にするべきなのに、と
腹立たしく思うし、悲しくもなります。
わたしが去っていく彼らに出来ることは、せいぜい、
彼らがいつか病院の外の、仮初の自由に気付いて
自らの変化を本当に望むようになることを、願うこと。
そうして、その時期が出来れば手遅れでないこと、
彼らの回り道が、彼らの人生において
なんらかの形で意味があるプロセスであることを祈ること。
自分の不甲斐なさに対する怒りは、
自分が一人でも多くの、変化を望む患者さんのお手伝いをすることで乗り越えていくしかない。
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