家族療法としてのアートセラピー
先日、私の勤めている病院で家族セミナーがありました。
家族セミナーは年に4回ほど開催され、児童青年グループの摂食障害患者数名と、その家族たちのために行われます。
わたしは普段、成人グループを担当しているので、
今まで家族セミナーに関わったことはなかったのですが、
児童青年グループを担当している同僚が病欠だったこともあり、
今回はわたしが彼らのために、絵を通したコミュニケーションの場を提供することになりました。
参加者は全部で14名。
わたしはそのうちの誰も知らない、という条件で家族のためのアートセラピーをすることになり
どうしようかとあれこれ考えを巡らせて、前日は深く眠れなかったりしました。
わたしが特に難しいな、と思ったことは
アートセラピーを全く知らない両親たち、普段、アートと触れ合っていない彼らにそもそも絵を描かせるということ。
そして、その一回きりの絵を描くという経験を通して、いかにして気づきに至るためのきっかけを与えるかということ。
いろいろ考えた末に、抽象的な表現のみで製作する、など
いくつかのルールを決めることで、絵の下手、上手いを意識させないようにしてみました。
一回きりの会だったので、どれくらいの影響を与えることができたのかはわかりませんが
終わった後に何人かの人たちからポジティブな反響をいただけて
緊張していた割には、わりとセミナー自体はスムーズに進めることができました。
わたしにとっていい経験になったな、と思えたことは
患者さんの親たちは実に普通の人たちで、当たり前に自分の子供を愛しているというのを
目の当たりにすることが出来たこと。
一人の人間が摂食障害を発症するにはいろんな要素があって、家庭環境が影響を与えるのも確か。
けれども、だからといって、当事者の家庭が信じられないくらいに病的な関係性を築いているとも限らない。
自己主張の強い父親、神経質な母親、過保護な父親、控えめすぎる母親。
そういう、どこの家庭にもいそうな父親、母親たち、
そしてそこに子供自身の性格などが加わって生まれてくる家族特有のリズム。
それがその子供を摂食障害に導く、もしくはその傾向を助長することもある。
一人の人間の治療をするというのは本当に難しいことです。
変わらなきゃならないのはいつでも当事者のみというわけではない、とつくづく感じることが出来ました。
家族セミナーは年に4回ほど開催され、児童青年グループの摂食障害患者数名と、その家族たちのために行われます。
わたしは普段、成人グループを担当しているので、
今まで家族セミナーに関わったことはなかったのですが、
児童青年グループを担当している同僚が病欠だったこともあり、
今回はわたしが彼らのために、絵を通したコミュニケーションの場を提供することになりました。
参加者は全部で14名。
わたしはそのうちの誰も知らない、という条件で家族のためのアートセラピーをすることになり
どうしようかとあれこれ考えを巡らせて、前日は深く眠れなかったりしました。
わたしが特に難しいな、と思ったことは
アートセラピーを全く知らない両親たち、普段、アートと触れ合っていない彼らにそもそも絵を描かせるということ。
そして、その一回きりの絵を描くという経験を通して、いかにして気づきに至るためのきっかけを与えるかということ。
いろいろ考えた末に、抽象的な表現のみで製作する、など
いくつかのルールを決めることで、絵の下手、上手いを意識させないようにしてみました。
一回きりの会だったので、どれくらいの影響を与えることができたのかはわかりませんが
終わった後に何人かの人たちからポジティブな反響をいただけて
緊張していた割には、わりとセミナー自体はスムーズに進めることができました。
わたしにとっていい経験になったな、と思えたことは
患者さんの親たちは実に普通の人たちで、当たり前に自分の子供を愛しているというのを
目の当たりにすることが出来たこと。
一人の人間が摂食障害を発症するにはいろんな要素があって、家庭環境が影響を与えるのも確か。
けれども、だからといって、当事者の家庭が信じられないくらいに病的な関係性を築いているとも限らない。
自己主張の強い父親、神経質な母親、過保護な父親、控えめすぎる母親。
そういう、どこの家庭にもいそうな父親、母親たち、
そしてそこに子供自身の性格などが加わって生まれてくる家族特有のリズム。
それがその子供を摂食障害に導く、もしくはその傾向を助長することもある。
一人の人間の治療をするというのは本当に難しいことです。
変わらなきゃならないのはいつでも当事者のみというわけではない、とつくづく感じることが出来ました。
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