人は多面体だから

今の病院に勤めるようになって、もう1年半が経ちますが
最近になって、去年長いこと入院していた患者さんたちとの再会が多くなってきています。
何か月も一緒にアートセラピーを通して、摂食障害と戦い続けた人たちなので
わたしたちの間には不思議な信頼関係があり、
再び顔が見れて嬉しいと思ってしまう反面、
でもここでは(病院では)再会したくなかった、という思いで複雑な心境になります。

わたしが2月のブログに書いた患者さんも、再び病院にやってきてしまいました。
退院していったときより酷く痩せてしまっていましたが
もうすぐ教職員になるための最後の試験があるということで
たった3週間で退院していきました。

彼女の絵の中ではいつも色が輝いていて
彼女がたくさんの憧れを抱えていることが感じられて
わたしはどうして、彼女は摂食障害を手放すことが出来ないのか、とずっと思っていました。
きみにだって、夢を生きる権利はある、と。

わたしがアートセラピーを通して知った彼女は
切実な憧れを山ほど抱えている、独創的な女の子でした。

しかし、ほかのセラピストたちは彼女のことを全く違うように感じていたようです。
10年以上も拒食症を患っている彼女は、
食事療法ではズルをして、食べ物をこっそり捨ててしまうこともあったようですし
セラピーの経験が豊富な彼女は、グループの心理療法で
「それは私には効果がなかった。」、「わたしの場合はみんなと違う。」などと言って、
その場の雰囲気を悪くしてしまうことが多かったみたいです。

会議の時にいつも、一体誰について話しているんだろう、と思うくらい
わたしの感じ取った彼女の印象と、ほかの療法士たちの印象が一致しないので不思議でした。

彼女が退院していった今日、
心理療法士の人が、会議に一枚のカードを持ってきて尋ねました。
「このカード、誰が作ったでしょう...?」
わたしが、「うーん、たぶんMじゃないかな...この絵の感じだと。」と言うと
「そうよ、彼女よ。信じられないでしょう、なんて感じがいいカードなの!」と。

みんな、なんて感じがいいんだと
Mがお別れに心理療法士のために描いたカードに驚いていたけれど
わたしは、この子供っぽくて愛嬌のある感じこそ、
わたしが知ってる彼女なんだけれど、と内心思っていました。

わたしはアートセラピーを通して、彼女の健康な面や才能を見ることが出来ました。
あまりにも同僚たちが彼女の病んでいる部分に、フォーカスを当てているので
わたしの感じていることは、まったくの的外れなのではと思うこともありました。
それでも、こうして絵を通せば、ほかの人たちにも見て取れるくらい
愛すべき一面も、彼女にはちゃんとあるのだとほっとしました。

カードには「わたしはまだゴールには到達していないけれど、これからもゴールを目指し続けます。」と書いてありました。

「自分は特別な存在でいなければならない」と思っている彼女。
そして、その思い込みを痛いほど自分でも分かっている彼女。
彼女がいつか摂食障害がなくても
自分は十分に特別な存在である、ということに気付いて
自分から遠ざけていながらも、本当はひどく憧れていた他人からの愛情に触れられる、
そんな日が来ることを願わずにはいられません。


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