依存症とアートセラピー

昨日は朝から夕方までびっちり「依存症」をテーマにした授業だった。
で、学んだことを自分なりに消化できるようにブログに日本語で書いてみようと思う。
(あくまで自分のための文章なので、だらだらと長くなってしまったし、
 正しくない理解できなかったところもあるかも。)

まず依存症になる要因のひとつとして「麻薬」が挙げられる。
麻薬が手に入る環境だったり、だれかに提供されて試してみたことによってやめられなくなる。
次に「個人性」。自己の強さ、フラストレーションの許容量など。
そして「社会的な環境」。家庭、両親の影響など。
トラウマ的な経験が依存症に発症するリスクを高めることがある。
精神的なストレスが引き金になり発症するケースが多い。
八割の麻薬依存症者は精神疾患を抱えている。
理論的には、患者は何かに依存することによって意欲を高めようとしたり
自身の病的な治療の試みとして、麻薬、アルコールなどを繰り返し服用する。

そのような人たちにとってアートセラピーはどのように有効であるだろう。
精神科医Eckhard Schifferによると
「自分の表現の創造とは頑固なもの。それには恥知らずな自分のファンタジーと関係が前提とされる。」。
つまり自己の表現には少なからずの勇気が必要となる。
頭で考えずに知覚して経験すること、それを通して自分のなかに閉じ込められていたものに形が与えられる。
美学的な意味は経験を通して生まれる。
アートセラピストの責任というのはつまり、患者の芸術を通しての経験を支えることである。
芸術は経験をより磨かれた、深められた形にする。
芸術を通して経験(日常生活での出来事、活動、苦悩)は目に見える形になる。
アートセラピーは経験を再び自分のものとして組み立てるのを手助けする。
そして依存症とは言い換えるならば
トラウマ的な経験や家庭環境、個人の精神の繊細さによって
自分の経験をひとつのものとしてつなぎ合わせることができなくなった人達の
現実から逃れるための試みということができるだろう。
アートセラピーはその逃避に至るのを事前に阻止するための要素になりうる。
しかしアートセラピーの治療は、あくまである程度安定した段階の
(依存症によっての命を落とす危険性はすでになくなっている段階の)患者に対してのみ有効である。

教授が実際に依存症患者とともに行った技法が2つ紹介される。
両方とも粘土を使ったものだが、1つ目は初期段階に用いられる課題で球を作るというものである。
まずそれぞれが自分の手のひらで丁度すっぽりと包み込めるだけの量の粘土を取る。
このちょうどいい量を探すというのもなかなか難しい。
その球は自分にのみぴったり合うサイズのものになるはずである。
はじめは球を見ないようにしながら球を作る。
ある程度納得がいったところで今度は目で見ながら仕上げていく。
ただ球を作るだけなのだが、手だけで綺麗な完璧な球を作るのは相当難しい。
体験者は自分の頭でではなく、感覚を通して球を経験することになる。

二つ目の課題は患者がアートセラピーに慣れてきたころに行われるものである。
一つ目の課題と比べると大量の粘土が使用される。とくに高さが重要で30センチほどは必要。
制作しやすいような作業台(高さがあり、その周りを360度回れるような)が用いられる。
作業台の上の粘土をある程度ひとつの、高さのある塊としてまとめる。
その後目隠しをしてその塊を手のひらで感じるところから作業が始まる。
つぎに、その塊に変化をつけたければ形を少しづつ変えていく。
一部だけに集中しないように、常に意識を作業しない側にも向けながら
たまに粘土の周りを回るように作業する位置を変えたりしながら制作していく。
制作時間は2、3時間にも及ぶ。
目隠しを取ったら、作品を見る前に自分が制作時間に何を経験したかをメモする。
それが終わったら初めて作品を鑑賞して、そこから何を感じるかをメモする。
そこには視覚でコントロールされていない、その作品が美しいか否かという
外側の価値感がまったく押し付けられていない個人の感覚によって決定されていった形が表現されている。
美しさを求めるのではなく、欲しい感覚は何かと探求されたなかで出来上がっていく形。
目で見て作品を作るときよりもさらに直接的な自分の感覚、経験を味わうことになる。

わたし個人的には作品を実際に見た時に、わたしが目をつぶりながら感じていた感覚が
生々しいくらいに表現されていてなんだか恥ずかしいくらいだった。
先っぽの方にここは耳みたいな感じ、と想像しながら作っていた形が本当に耳のようでびっくりした。
目で見ながら作っていたら、自分の感覚をそこまで誇張した形は作らなかっただろう。
それは面白い経験であったけれども、患者がわたしと同じように
自分の作品をみて驚いてしまったり、あるいはそれを受け入れたくないと思ってしまったりしたときは
どうしたらいいんだろうと思い、授業のあとに個人的に教授に質問する。
彼はその場合はどこが気に入らないのかを患者と話し合い、目隠しを取ったあとに手直しさせる、と言った。
大事なのは経験が先で、思考があとにくること、その順序。
思考のブロックにより感覚を通しての経験を阻止させないようにする。

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